日本企業をめぐる3欠問題:使命感・自己効力感・全体最適観
先日、娘の小学校で保護者会があった。妻の話によると、これからの時期は、自己効力感をいかに育てるか、が重要であるという。何か行動を起こす際には、それを行った時に引き起こされる結果に関する結果予期(outcome expectation)と、うまくできるかどうかに関する効力予期(efficacy expectation)の2つの予期を立てた上で行動が起こされる。この枠組みを前提に、社会的学習理論を提唱したBandura は、自分自身に関して認識する効力予期(=自己効力感=Self-Efficacy))に働きかけることが行動に変化を与える上で非常に重要である、としている。ベテラン先生の話によると、自己効力感を高めるためには、自身の環境が安定していないといけない、という。
日本のイノベーション力を高めるためには何が必要なのか。組織の大規模化は、組織の官僚化を促し、官僚化は手順踏襲を要求し、リスク回避を促す。イノベーションとは常識革新であるから、組織で共有される常識=これまでの手順・前例を重視する姿勢とは真っ向から対立する。機関投資家の巨大化は、投資の意思決定において合理性を重視する傾向をますます強め、投資先企業に対しても短期的に収益を確実に上げることを重視し、先行投資という冒険的行為に対して懐疑的な眼を向ける。しかも、運用会社において、劇的なイノベーションにつながる可能性のある先行投資を支援して短期的収益を犠牲にし、2年後、3年後の株価上昇につながっても、リスクに挑戦したファンド・マネジャーに対する報酬は限られている。イノベーションにチャレンジして得られる結果予期はあまり魅力的ではないのである。
イノベーションに何故チャレンジしなければならないのか。結果予期が芳しくなくとも、やりがいのあることはある。儲かるからイノベーションをする、という動機でイノベーションにチャレンジしてもあまりうまくいかない。米国のベンチャー企業研究で、成功・失敗を分ける重要ファクターは、そのベンチャー事業と社会的使命感とが合致しているか否か、であるという。「失敗の孤児」になっても、やる価値があるという使命感が重要なのである。日本企業のイノベーション力が衰えているように思えるのは、大・小・ベンチャーを問わず、日本企業に「使命感」が欠如しているからではないだろうか。
日本企業のイノベーション力低下の原因の2つ目は「自己効力感」の欠如ではないだろうか。大組織の中で一人イノベーションにチャレンジしようとしても、大組織であるが故に変化を引き起こすことなどできない、そんなことを起こせるほどの能力は自分にはない、という「あきらめ感」「無力感」が蔓延しているのではないか。しかも、こうした無力感は組織内で影響力を本来発揮できる立場にある人間であればあるほど強いのではないか。長年に亘って無力感が習得されてしまったからである。「セリグマンの犬」現象が起きているのだ。セリグマンの実験室における犬は、自分が外界の変化の原因となりえないことを教え込まれた。
どうあがいても、外界から何の予告もなく繰り返し与えられる電気ショックから逃れることがなく、すべてをあきらめてジッと耐えるしか道がないことを知ったのである。その結果、自分というものの無力さを味わい、すべての学習活動における自己原因性の感覚を喪失してしまった、かわいそうな犬のことだ。先日の秋葉原事件の犯人は、すべての原因を自分ではなく外界に求めた。日本企業のイノベーション力を強化するには、「セリグマンの犬」状態から脱し、「自己効力感」を高める必要がある。
自己効力感を高めるには、安定が必要だという。日本の起業化率が米国に比べて著しく低い背景には、自己効力感と安定性の問題があるのでないだろうか。米国では、労働の流動性が高い。大企業では、リスクをとって成功すれば、高い報酬と早い昇進がある。失敗しても、大企業間・大企業-ベンチャー企業間・ベンチャー企業間での転職は困難ではない。米国では、イノベーションにチャレンジするための自己効力感を高める前提である安定性は一定程度確保されているように思える。そのような環境で、コンプライアンス強化と言っても、自己効力感の低下にはつながらない。
日本では、コンプライアンス強化は減点主義の強化につながっているように思える。前例のないこと、新しいことにチャレンジすること自体が減点の対象となってしまう。チャレンジして成功してもその報酬はしれている。失敗したら冷や飯。大企業でベンチャー企業からサービスや商品を買うこと自体も非常に危険な行為と考えられ、取引を通じた、大企業によるベンチャー育成を望むのも困難な状況にある。
ベンチャー企業への支払いサイクルをこれまで通りの3ヶ月、6ヶ月に維持するなど、ベンチャー企業育成阻止の行為に他ならないが、担当者はリスク回避が最重要である。いわんや、大企業からベンチャー企業に転身して、失敗でもしたら、次の就職先を探すのは非常に困難である。労働の流動性という安定性が確保されない状況で、コンプライアンスの強化は「セリグマンの犬」化の促進につながるだけで、自己効力感の向上は到底見込めない。米国型のコンプライアンス強化・内部統制強化は不正防止という部分最適を実現するには役立つが、果たして、日本の全体最適をどこまで視野に入れたものなのだろうか。
米国では、スタートアップ期のベンチャー企業に対して、個人の富裕層(元ベンチャー企業のオーナー経営者が母体)を出資者とするベンチャー・キャピタル(VC)が豊富かつ多様に存在する。しかし、日本では、所得格差・資産格差が問題視され、米国型のVCによるベンチャー企業支援体制を少なくとも早期に構築するのは困難である。日本では、大企業によるベンチャー企業育成が最適なのではないだろうか。大企業内外の人材のベンチャー起業に対する自己効力感向上に最も効果的だと思うからである。